エッセイ 心おだやかに
鏡野町の観音寺におまいりしました
約2年前、鏡野町杉の観音寺を訪れた。
本文を読み返してみると、
私の姿が見える。
八十八箇所霊場巡りをする事で、
悔しい気持ちを鎮める事、
模索していたように思える。
ただ一つ言えることは、
心が穏やかになって
2年前よりは自分らしく日々を過ごしているのではないだろうか。
国道179号を北上して、光明寺に向かう途中に看板が出ていたので、
帰りには寄ってみたいなと思っていたお寺。
光明寺さまにおまいりして、お気に入りの蕎麦屋に入る道を通り越して、
程なく観音寺への看板が見えるのでそこを左折。
吉井川を渡ると、田園風景の中を行く。
え。
私の車通れるの?
お腹擦っちゃうかも、、、
ええい、行けー進めー。
結構な坂でしたが、なんとか大丈夫。
観音寺さまも、駐車場から少し歩く。
山寺だから当たり前なんだけど。
一日に結構な距離になる。暑いし。
密教婦人会の方に寄るお地蔵さま。
とてもやさしいお顔をしている。頑張るぞ。
こぢんまりとしたお寺だが、ところどころに夏の花が咲いていて、
お寺の気遣いが見えるようで、とてもうれしい。
なんの花だろう。
私の大好きなピンク。かわいい。
清楚な感じで
お寺とよく会う。
境内を回りながら、色々考えてみる。
今までありがたかったこと。
と、ちょっと悔しかったこと(もうほぼほぼ忘れているけど、時々思い出す)
本当に自分を適切に評価、批判、進言してくれた方たち。本当に今になって、時々あの時あのタイミングの言葉に感謝することが多い(家族を含めて、仕事関係、あと親身になってくれる友人)。
悔しかったことは、もう忘れよう。
イエスマンで私の居心地の良い答えをしてくれた人。その時はそうだよね、
ありがとって思うけど後になると決して他人じゃ責任とれないんだよね。
父が言っていた、ジャンケンで決める、くじで決めると言うことをするなと。
今までの私の生活どうだったのかな、
安易に安易な人の決断を信じていたのかもしれない。
判断力のなかった私を反省すると共に、心からフィードバックしてくれる人に感謝してもしきれない。
こうやって
考えるのは、まだ引きずっているんだなあと思う。
お寺を回りながら、私はいろんなことに対して寛容な 「人」になれるのだろうか。
なれるなれる。少なくとも今なりつつあるような気がする。
ご朱印をいただくところは、さっぱりした玄関を入らせていただき、きれいに片付けられたお部屋で。
ご朱印をいただきました。
ご接待も用意されていて、アクリルたわし、
ろうそく、爪楊枝。
どれもこれも手作り感がすごくうれしい。
今までご接待をいただいたものは、家で主人と食べたり、
大切な友人や家族と分けようと思っている。
少しでも幸せ気分を分けたいなと思って。
ちょうど、納経所を出たところで、お留守だったご住職さまとであった。
とても良い笑顔で
「お疲れさまです。密教婦人会の皆さんが考えて作ってくださった、ご接待は各種類お持ちくださいね」
と言ってくださいました。
ありがたく頂戴しました。
可愛い金魚もいました。
きっとご住職さまはやさしい方なんだな。
またここでも私は気の利いたことが言えなくて、挨拶だけになってしまった。
恥ずかしい。
ご住職さまに見送られながら坂をくだりました。
色々な出会いがあるものだな。
色々考えることができるんだな。
無になることも大切だけど、思いにふけるのもいいものだなとありがたく思った。
梅本山 観音寺
鏡野町杉670-3
ライター 武本 真寿子







