地域で活躍する人を紹介
北和気郷土資料館の福井正さん
ほとんど雨が降らなかった今年の梅雨。
そんな晴天の暑い日。 美咲町百々にある
美咲町北和気郷土資料館の福井正さんをたずねた 。
のどかな田園風景の中、 郷土資料館は昭和の雰囲気が懐かしい感じだ、
良 き時代を彷彿とさせる。

さて
福井さんとはどんな方か、百々人形とはどんなものなのか、
北和気郷土資料館 とはどういうところなのか、存分にお話を聞いてきた。
柵原の行政一筋に
福井正さんは、旧柵原町生まれ、柵原町育ち。
旧柵原町の最後は、 教育次長として三町合併に向けてのすり合わせで、
だが、福井さんが大変だったのはその後の平成の大合併。
福井さんは美咲町職員を退職、合併した美咲町副町長になった。
折しも晴れの国岡山国体開催の年であり合併後の美咲町の 課題も多く、
また三町合併したことにより、 成人式など町内の式典、
行事の調整に奔走したという。
「美咲町を新体制にするために、2年間は苦しく忙しい日が続き、 骨を折った」
と福井さんは懐かしそうに振り返っていた。
そしてその激動の時代を、美咲町とともに歩んだのだが、
地域とともに生きてゆく
辞職したものの、福井さんは大忙し。
柵原地域の、コミュニティー推進協議会の会長に就任。
それらの仕事をしながら、 滋賀県の大学の集中講義を受講し
図書館司書免許を取得( 平成21年夏)、
まだ学ぶことがあるのか、 行政でキャリアを積み
今後柵原地域の人たちに還元できる学びを
さ れたのを福井さんらしいと感じた。
まさに地域のため、、、福井さん、さすが。
北和気郷土資料館ってどんなところ?
「小さな美術館のようなもの」と福井さんは言う。
2階は、常設で民俗資料などを展示している、

農業をしていた方には懐かしい、農機具がずらり。 蓑笠など身につけていたものや
米作りに関するもの色々、 私があまり詳しくなくて残念だが、
写真を見ていただきたい。

昔の人の暮らしは華美ではなく、とても質素で合理的だ、
少しずつ伸びて行ったりしたり高度経済成長の時期あり、
そして、 暮らしは質素だったが子どもの成長には昔の人は
思いの丈を美しい ものに変えたのだろうと想像できるお雛様の展示は圧巻。
お願いすれば福井さんが説明してくれるので、 ぜひ説明付きで見学して欲しい。

1階は、地域の人などの作品を展示していて、
福井さんが言うには
「むかし、 鉱山があったおかげで柵原には外から入ってきた
文化やハイカラな ものが住民たちに浸透して行ったのではないか、
ダンスや野球、 マラソンなど地域で盛り上がるものもたくさんあります」
展示に関しては、 自身の作品展示希望なら福井さんに相談してみてはいかがだろう。
そして誰もが気軽に話ができる、サロン風スペースもある。
そこには、温かい人たちの温かい会話がある。

百々人形を残していく
だるまのような、土鈴のような、色のきれいな、 コロコロと音のする、、、
百々人形のことは、 色々な言い方で表現できる。
きっと10個百々人形があったら、 同じ表現で表すことは難しいだろう。
私ならどう表現するのだろう。

「百々人形」と百々の地名が入ったお人形。
ここが発祥の地と思いきや、色々な変遷をくぐって伝承されたもの。
京都清水の豆人形をヒントに、昭和8年に創始者福田弘一、 中西熊夫両氏により
考案され命名されたと言う。
一時期、生産中止となった時期を経たが、 郷土芸術品を残そうとの声の高まり、
今では福井さんをはじめ百々人形保存会の方たちが伝承保存に努め ている。
美咲町では新生児に百々人形を
新生児の健やかな成長を願って、 美咲町では百々人形の進呈を行なっている。
一つ一つ手作りで縁起が良いとされるお人形。
「役場に出生届を出しに行くと、プレゼントされます、
つ ながると思います。 そしていつか人形は土にかえってなくなっていく、
本当にその通りだ。
百々人形保存会では町内をはじめ近隣の市町村などの学校、園、 グループで
30人以下であれば出前で百々人形の制作講座を受け付 けている。
粘土の型抜きと色つけの2回講座で一人当たり1〜 2個作ることができる。
自分だけの百々人形を作って大切にしてみては。

環境のいい北和気資料館を人の集まる場所にしたのは
福井さんの尽 力が大きいと思う。
色々な知識がありながら、気軽に話ができる、
「元気な限り百々人形には関わっていきたい」
地域の宝物を大切に育ててきた福井さん、

北和気郷土資料館
岡山県久米郡美咲町百々417ー1
電話(0868)64−0801
開館時間 10:00〜15:00
休館日 毎週月・火曜日 祭日の翌日
入館料 無料
詳しくはホームページを参考にしてほしい。
取材を終えて
福井正さん、 とても抽斗の多い方で会うたびに私は彼のファンになっていく。
文化や歴史に造詣が深く教えて欲しいってお願いしたら丁寧に教え てくれる。
私が福井さんと知り合った場面は、 百々人形の絵付けのワークショップだった、
4〜 5歳くらいの女の子が夢中で色を塗っていた、
あるワークショップで、幼児が絵付けをしていて、
出来上がった人形を渡すと、
「私のじゃない」と幼児は辛がったそうだ。
福井さんは決して結論を言わない。
それを聞いて、私が、 他の人がどう考えるかのヒントを出してくれる。
そのヒントで私自身のこれからの行動を修正していくのだ。
それが福井さん流。
今福井さんは、 講和の依頼があり空いた時間に色々なところを回っているという。
きっと面白い話をされるんだろうな、一度聞いてみたい。
笑顔がよく似合う人だから、 聞いてる人たちも笑顔になってるんだろうな。
時には趣味の木工製品をお土産に、 文化のタネ幸せのタネを
もっと蒔いて欲しいと願っている。
北和気郷土資料館に行って、 懐かしい気分に浸る時間を過ごしてみて欲しい、
そして福井さんには
いつまでも元気で活躍をしていただきたい。
取材日:令和4年6月23日
ライター 武本真寿子
編集・著作

